盛岡地方裁判所 昭和40年(ワ)175号 判決 1967年12月12日
原告 小木道雄
被告 国
訴訟代理人 光広龍夫 外八名
主文
一、被告は原告に対し、金一、六三九、二七二円およびこれに対する昭和三七年八月一日から支払ずみまで年五分の割合による金銭の支払をせよ。
二、原告その余の請求を棄却する。
三、訴訟費用はこれを二分し、その一は原告の負担とし、その余は被告の負担とする。
四、この判決は、原告勝訴の部分に限り、原告において金三〇万円の担保を供することを条件に、仮りに執行することができる。ただし、被告が金五〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。
事 実 <省略>
理由
一、原告が昭和三七年八月一日午後八時二〇分ごろ、その所有の原動機付自転車を運転して、国道四号線を水沢方面から一関方面に向け進行中、胆沢郡前沢町丑沢地内国道四号線丑沢橋架橋工事現場において転落事故を起し、負傷したこと、右事故現場が一級国道四号線改築工事施工区間内にあり、被告国(東北地方建設局岩手工事事務所元前沢国道出張所)の管理下に属することは、当事者間に争がない。
二、そこで、被告国の国道管理につき原告主張のような瑕疵があつたかどうかにつき検討する。
(一) (本件道路工事の概要と保安施設の設置状況)
<証拠省略>を総合すると、次のような事実が認められる。
(1) 被告国(建設大臣)は、本件事故発生当時、岩手県知事の管理(本件事故発生時は本件道路工事に際し、道路法―昭和三五年法律第一〇五号改正分―第二七条によつて道路管理者岩手県知事の行なう権限の一部を代行(道路法施行令―昭和三七年政令第一七二号―第四条)していた。)する一級国道四号線のうち、水沢市真城から胆沢郡前沢町古城間、約五粁の前沢道路改良工事について、昭和三七年六月一一日訴外国際道路株式会社との間に、現道の拡幅、路盤改良、橋梁の替架工事の請負契約を、竣工期限昭和三八年三月二〇日までと定めて締結し、右会社において工事を実施していた。
(2) 右工事のなかには本件丑沢橋の架替工事も含まれていたのであるが、同工事は同年六月二七日迂回路および仮橋設置等に着工し、同年七月八日竣工のうえ、七月九日丑沢橋旧橋の通行止めおよび旧稿の解体をなし、同年一〇月五日に竣工したものである。
(3) 被告(岩手工事事務所長)は、道路交通法第八〇条第二項の規定に基づき、所轄水沢警察署長と協議のうえ、同年七月一〇日から昭和三八年三月二〇日までの間工事現場の交通を規制し、
(4) 現場における危険防止のため、本件事故現場の前後には通行止、工事中、注意、徐行、方向指示、重量制限の各標識およびバリケードを設置し、さらに旧橋解体時には、本件脱橋箇所に通ずる旧道路を遮断するため、脱橋箇所手前に丸太長木をもつて防護柵とし、日中は旗振り手をもつて車輛の通行を誘導するとともに規制し、さらに夜間にあつては、バリケードに夜間標識灯(赤ランプ)と右橋の西南方立木に五〇〇ワツトの照明灯(投光器)を設備して、現場を標示、または照射し、迂回路両側にはデリネーター(防護柵に反射鏡をとりつけたもの)を設置し、
(5) 日本放送協会盛岡放送局を通じてラジオにより一般に交通制限の情報を放送して注意を喚起し、かつ、関係市、町、その他の機関に対し、通行制限についての協力を求めた。
ところで、道路管理者は道路を常時良好な状態に保つように維持し、修繕し、もつて一般交通に支障を及ぼさないように努めなければならない責務があり(道路法第四二条)、道路工事に伴なう交通安全について、必要な諸施設等が単に法令または内部規則の定める基準に合致しているからといつて、ただちに道路管理につき瑕疵がなかつたことは即断できない。
問題は、本件事故発生の時点において、前記諸施設が危険防止のため完全に機能を発揮していたかどうかにかかる。そこで、進んでこの点について考察する。
(二) (事故現場の状況および事故当夜の保安施設の状況)
<証拠省略>を総合すると、次の事実が認められる。
(1) 本件事故当夜、事故現場は国道(巾員五・八メートル)下を横断する丑沢川(巾一二メートル)にあつた丑沢橋架替のため旧橋は脱橋し、約二・五メートル路面より掘下げられ、川底にはベルトコンベア機が据付けられ、路上には機械、道具あるいは掘り上げた残土等が存置し、危険な箇所であつた。現場はやや曲り角になり、人家も疎らで街灯もなく、夜間は非常に暗い。工事現場の水沢側入口付近(現場より約三〇メートル前方)には、一関方面に向つて道路左側に徐行、注意、工事中の三個の標識が立ち、続いて迂回路入口付近右側に方向指示標が立つていた。
(2) 前沢国道事務所の現場監督員二階堂金吾は、国際道路株式会社の主任技術員である上岡幸雄に対し、今夜は一関市で花火大会があり交通量が多くなることが予想されるので保安設備には注意するように指示したところ、上岡はさらに下請業者で本件橋梁架替工事の直接担当者である小野寺秀雄に対してその旨指示したが、両名ともバリケード、防護柵等の安全の確認はしなかつた。しかして、小野寺が右指示に基づき危険防止の措置を完全に行つたかどうかは、後記認定の事情から推して甚だ疑わしい。すなわち、本件事故後、上岡らが現場に到着したときには、被害者はすでに道路上に引揚げられ、地面に寝かされていたので、上岡は直ちに被害者を救護し自動車で前沢病院へ運んだ。その際赤ランプの取付けてある、バリケード(通行止めの黄色と黒色の斜線をひいたもの)が現道の西側、千田秀雄宅前の路線に沿つて平行に寄り、二箇は東側迂回路の付近に並べられ、両者の間は十分に人が通ホる余裕があつた。さらに、脱橋箇所より一メートル位手前に防護柵として二又の上に乗せてあつた長丸太は、片側がはずれて路上に落ち斜めになつていた。もつとも、前掲<証拠省略>(実況見分調書図面)には、バリケード三箇が並んで通行を遮断する形を整えているように記載され、右記載によれば、その一つが原告の進路上にあり、原告がそれに突き当り踏破しなければ、転落地点に達することができない状態にみられるが、右実況見分当時(事故の後である午後九時二〇分ころ)には、すでに誰かの手によつてバリケードの位置が整えられていたものと推測できるし、防護柵についてはその存在自体右図面に記載されていない。なお前掲<証拠省略>は、前記バリケードに損傷の跡があつた旨供述しているが、右損傷が原告のバイクと衝突して生じた損傷と認めるに足りる証拠は何ら存しないし、上岡らが到着する前に被害者救護のため現場付近の者がバリケード等を移動したと認めるべき証拠もない。してみると、事故当夜は、前記バリケードおよび防護柵が工事現場の通行を完全に遮断するような形で設置されず、その機能を果していなかつたものと推認できる。
(3) 次に、被告主張の投光器の点灯についてしらべる。
前掲<証拠省略>は、警察官の取調べに際し、事故直後現場に到着した際、一関側の赤ランプのところに一〇〇ワツトの白色灯がついていたと述べたのは誤りで、五〇〇ワツトの投光器が点灯されていたように思う旨供述している。しかし、特に照明施設に関心をもつべき現場の責任者である上岡が投光器の位置や一〇〇ワツトの明るさと五〇〇ワツトの明るさを間違えることは常識で考えられない。むしろ、<証拠省略>によると、千田元子は、被害者原告が河底に転落したのを最初に発見し、これを確認するのに懐中電灯を用い、これを救助に駈けつけたものに貸与していること、同女は本件事故の発生を知らせるため千田秀雄方へ駈けつけた際、途中長丸太にひつかかつて転倒したこと、千田秀雄も河底が暗かつたので、マツチをすつてその光で原告の存在を確認し、誰かが赤ランプのソケツトに白色灯をつけ、その明りで被害者を路上に引揚げ救助したことが認められる。してみると、現場に前記投光器の設備があつても、、事故当夜は滅灯し、現場は非常に暗く、他に明りをかりなければ、被害者を発見、救助できなかつたものと推認できる。もつとも、<証拠省略>は、実況見分当時には投光器が点灯して現場は明るく、見分に支障を生じなかつた旨供述しているが、右供述もまた、事故の時よりすでに一時間以上を経過している見分時の状況であるので、右証書をもつて前記認定を覆えすことはできない。
(4) 次に、事故当夜赤ランプが点灯していなかつたことは、<証拠省略>により明白である。なお、被害者を転落箇所より引揚げるに際し、赤ランプのソケツトを利用して白色電球を点灯したことは前段認定のとおりであるが、誰かが赤色電球を白色電球に差し替え使用し、その後赤色電球を付けなかつたものと推測するに足りる証拠は何ら存しない。
以上認定のとおりであるので、本件事故当夜は、工事現場を完全に遮断するような形でバリケード、防護柵が設置されていなかつたうえ、事故現場を照射する投光器は滅灯して、他に明りを借りなければならないほど現場は暗く、かつ、赤ランプも点灯されていなかつたものと認められる。(前掲<証拠省略>中右認定に反する部分はにわかに措信できない。)
してみれば、道路を占用して工事を実施する者は、工事現場にさく又はおおいを設け、夜間は赤色灯等をつけ、その他道路交通の危険防止のために必要な措置を講ずる義務があることは、道路法施行令第一五条五号の規定上明らかであるのみならず、前記認定のような本件工事現場の状況に鑑み、本件事故当時、国道管理者である被告は、前記のとおり国道交通の安全性保持について万全な措置を講じていなかつたものというべきであるから、被告の道路管理義務違背の責任は免れ得ない。
三、(原告の事故発生当日の行動および原告の過失)
被告は、本件事故発生は、被害者である原告自身の重大な過失に基因するものである旨主張するので、さらにこの点につき検討する。<証拠省略>を併せ考えると、次のような事実が認められる。
原告は、昭和三七年八月一日午前一〇時から水沢市黒石所在の正法寺において開催された住職細川石屋師の帰山歓迎祝賀会に出席するため、その前日夕刻原告所有の第一種原動機付自転車(以下単に「バイク」という。)に乗車し、原告の住所地を出発し、途中本件事故現場の迂回路を通過して、水沢市姉帯の慈源寺に到着し、同日は同寺に宿泊した。翌八月一日午前一〇時ころ友人とともにバスに乗車して前記正法寺に向つた。右正法寺においては、午前一一時ころより参集者約六、七〇名で盛大な酒宴が催され、原告自身もこれに加わり、午後二時過ぎまで酒を飲んだ。右宴席には各人に折詰および酒二合壜詰が配られ、その外に若干のビールが出た。かなり酒に酔つた原告は、仲間の僧侶達四人とバスを利用して再び慈源寺に立戻り、そこで五人で生ビール、リツトル瓶二本を飲んだ。そこで原告は酔を醒まして帰ることにし、約一時間半ないし二時間同寺で休んだうえ午後七時三〇分ころ慈源寺住職千枝俊甲の止めるのもきかず、今晩用事があるからと言つてバイクを運転して帰宅の途についた。慈源寺を出発してから水沢市真城以南の国道は工事中であるので、原告は時速約二五、六粁で途中の工事箇所の赤ランプを見分けつつ悪路を徐行しながら南進してきた。右バイクの前照灯は非常に暗かつたが、原告はライトに照らされた前方道路面が突然真暗になつたと思つた瞬間、急制動をかける暇もなく車輛もろとも本件事故現場の掘さく箇所に転落し、川底に掘付けていたベルトコンベア機に胸腹部を激突した。原告は、前日も本件工事現場を通過しているのにかかわらず、酒に酔つていたため、注意力が低下しその現場付近にある前記交通規則制標識等に気付かず、迂回路の存在を忘れていた。
右認定の事実より考察すると、原告は運転者として常に前方を注視し、交通規制標識等に従つて安全に運転しなければならない注意義務があるのにかかわらず、酒気を帯びて正常な運転ができない状態であつたことにより不注意にも前記交通規制標識、迂回路等の存在に気付かず、漫然と進行を続けて本件現場に突入し、転落した重大な過失があつたものといわねばならない。
しかし、前記認定のとおり原告は本件事故現場に至る工事箇所の赤ランプを見分けつつ無事進行してきてその間何ら事故が発生しなかつたのであるから、本件事故は原告の前記過失と、被告の前記道路管理上の瑕疵が競合して発生したものと認めるを相当とする。もつとも、<証拠省略>によると、本件事故現場は、東北と中央を結ぶ主要幹線である国道四号線であり、平常時においてもその交通量は極めて多く、ことに事故発生当夜は、一関市の花火大会が催され、これが見物のため相当多数の車輛が本件現場の国道を通過したにもかかわらず、それらの車輛のいずれもが何らの事故を起すことなく無事通過し、ひとり原告のみが本件事故を惹起したものであることが認められるけれども、すでに認定したような被告の道路管理上の瑕疵が本件事故誘発の原因に全くならなかつたとは到底いえない。被告の援用する<証拠省略>(各新聞の切抜き)の存在は右認定の妨げにはならない。
四、(帰責事由)
したがつて、被告は、国家賠償法第二条第一項に基づき、本件道路管理上の瑕疵があつたため原告に生じた左記損害を賠償する責任を負わねばならない。
五、(損害)
そこで進んで原告の被つた損害についてしらべる。
(一) (被告の傷害の程度)
<証拠省略>を併せ考えると、次のような事実が認められる。
原告は、前記のように本件工事現場の掘さく箇所に転落しベルトコンベア機に激突した結果、第三顎椎不全骨折、第一〇、第一一胸椎骨折、脱臼、右第八、第一〇肋骨骨折、下肢下腹部圧迫性運動知覚麻痺の重傷を負い、直ちに前沢病院に搬送され同月一四日まで入院治療を受けた。翌一五日岩手県立磐井病院に転院し、引続き治療を受けたが、治癒の見込みがないため、やむなく昭和三九年一一月二九日退院し、その後は自宅で療養しているが、前記胸椎圧迫骨折、脊髄圧迫骨折により両下肢が完全に麻痺し、膀胱直腸麻痺が存在し、自用を弁じ得ない後遺症状にある。
(二) (物質的損害)
(1) (治療費)
前掲<証拠省略>によれば、原告は、昭和三七年八月一三日前記前沢病院に入院中の費用として金八、八九三円(給食料および個室料として金三、四八六円を含む。)を支払つたことが認められる。なお、右給食料もまた入院中の費用として、本件事故と相当因果関係のある損害に当るものというべきである。
(2) (看護料)
前掲<証拠省略>によれば、原告は、前記傷害により昭和三七年八月一日から昭和三九年一〇月末まで前記病院に入院中、食事、排泄物の処理等を自らなし得ないため、付添看護を必要とし、やむなく原告と同居して家事に従事していた実妹許子に依頼し、同女に付添看護をして貰つたが、未だ現実に看護料の支払をしていないことが認められる。してみれば、右許子が同居の親族であつても、原告は同女に対し右付添看護料相当の債務を負担しているわけであるから、被害者原告は右同額の損害を被つたものというべきである。しかして右金額は、職業付添人の付添料を基準にして、尠くとも一日金五〇〇円をもつて相当とするから、一ケ月金一五、〇〇〇円として、これに二七ヶ月を乗じて得た金四〇五、〇〇〇円が右入院期間中の看護料となる。
(3) (原動機付自転車の修理費)
本件事故により原告が乗用していたバイクの破損修理費として金四、九〇〇円を要したことは、当事者間に争がない。
(4) (逸失利益)
(イ) (講師の報酬減)
<証拠省略>によると、原告は本件事故当時、瀧門寺住職のほか一関第一高等学校厳美分校(定時制)の国語科講師の職にあり、時間給として一時間当り金二〇〇円の報酬を得ていたこと、本件事故前昭和三七年四月から同年七年までの四ケ月間に右報酬として合計金一六、六〇〇円の支給を受けているので、一ヶ月に平均すると金四、一五〇円になるが、右分校はその後昭和四一年三月廃校になつたことが認められる。したがつて、原告は本件事故により右講師の職をやめざるを得なくなり、それによる収入減は、右金四、一五〇円に昭和三七年八月から昭和四一年三月までの四四ケ月を乗じて得た金一八二、六〇〇円となるので、これから年五分の割合による中間利息を控除すると、その現在価額は金一六七、三四〇円となる。(法定利率による単利年金現価表適用、円位未満切捨、以下同じ。)
(ロ) (僧侶としての収入減)
<証拠省略>および弁論の全趣旨を併せ考えると、原告は、事故当時三一才の健康体で宗教法人瀧門寺の代表役員住職であるが、原告の属する右寺からはその職務を行うに当り一定の給与の支給を受けていないこと、原告は前記傷害のため稼働できず、やむなく檀家の仏事は他寺の僧侶に依頼してこれを行い、布施の六割を原告が、その四割を依頼された僧侶に分与していること、しかして右布施による純収入は一ケ月平均少くとも二万円であるので、年間二四万円としてその四割の九六、〇〇〇円を他の僧侶に与えることになり、その分だけ原告の減収となること、しかも原告は、前記後遺症によつて終生起き上ることさえできず、稼働能力を全く喪失し、回復の見込がないが、通常六〇才までは現職を維持することが可能であることが推認できる。もつとも、被告は、右布施による収入が宗教法人寺に帰属すべき収入である旨主張するが、布施は、一般に僧侶が宗教上の儀式行事等をとり行うことにより檀家から施し与えられる金品であり、前示認定のように右寺から何らの報酬を得ていない本件においては、他に特段の事情が存しないかぎり、右布施をもつて住職である原告個人の収入として、逸失利益算定の基礎となし得るものと認めるを相当とする。<証拠省略>の存在は右認定の妨げにはならない。したがつて、本件事故による逸失利益は、右金九六、〇〇〇円に事故当時からの就労可能年数二九年を乗じて得た金二、七八四、〇〇〇円であるが、これを一時に支払いを受けるとすれば年五分の中間利息を差引いた現在価額が、金一、六九二、四一二円となることは計算上明らかである。
以上認定のとおり物質的損害額は、合計金二、二七八、五四五円になる。
(三) (慰謝料)
次に、原告の慰謝料の請求について考察する。前掲、<証拠省略>を併せ考えると、原告は、昭和六年三月一五日生で、昭和二九年に駒沢大学を卒業後、横浜市鶴見所在総持寺で二年間の修業を経た後、岩清水の安楽専住職となり、さらに昭和三六年前記瀧門寺住職に就任しその傍ら前記厳美分校の講師をして今日に至つたこと、原告は妻富久江との間に二女を儲け、他に実妹二名とともに同居して生活していたが、事故当時は前記のとおり健康体であつたので、自己名義の田八反六畝、畑一反九畝を耕作して農業を兼業していたが、本件事故のため生活困窮し、医療扶助を受けて入院治療を受けたこと、したがつて、原告が将来に寄せていた期待は大きかつたが、本件事故に遭遇し、前記のとおり下半身麻痺となり、歩行は全く不可能であるので、退院後も病床に臥したまま引続き妻富久江の看護を受けていること、しかも右症状は今後軽快または完治する見込みがないこと、原告は入院中、前記国際道路株式会社より見舞として缶詰を一回受領したに過ぎないことが認められる。
したがつて、原告が本件事故により被つた精神的苦痛が甚大であることは容易に推察できるので、前記認定のような本件事故の態様、受傷の程度、原告の年令、社会的地位、家庭の状況等その他諸般の事情を考慮すると、その慰謝料額は金一〇〇万円をもつて相当とする。
(四) (過失相殺)
しかしながら、本件事故の発生には、さきに認定したような原告の運転者として尽すべき前方注視義務、安全運転義務を怠り、酒気を帯びて運行した重大な過失が競合しているので、原告の被つた損害のうち被告の賠償すべき金額は、右事情を斟酌して前記損害額合計金三、二七八、五四五円より二分の一に相当する金額を控除した金一、六三九、二七二円(円位未満切捨)と定めるを相当とする。
六、(結論)
以上説示のとおり、被告は原告に対し、右金一、六三九、二七二円および本件事故発生の日である昭和三七年八月一日から右支払ずみに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、その履行を求める原告の本訴請求は、右認定の限度で正当であるからこれを認容するが、その余は失当であるのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言、同免脱の宣言について同法第一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 土田勇)